「粟田」第10回 野々市の町名の由来 川を渡って戻って!

※記事中に少し広告がでてくることも!

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第10回は、野々市の中心のメガ町会「粟田(あわだ)」ついて調べました。野々市市役所の南東方面に、なんと6丁目もあって約1600世帯もあるのですが、すごいのは町会は1つ! 組織がしっかりしてて「連合会」として代表1人で、そこに6町会が入り込んでいるので、まとまりがすごいですね。そして由来の結論から言うと!

カレーを食べ歩いて25年目! 野々市生まれ野々市育ち! いしかわ観光特使で自称「いしかわカレー大使」のナマステが、いろいろ勉強して「ののいち博士」を目指ざしているブログです。
ラジオで野々市の町名の由来を1/3ほど一気に紹介したら、自分でも面白くて! 自分が住んでいた町の名前って、人の名前だったんだーとか、あー、それぐらい子供の時に知ってたらよかったな。って思ったので、町名の由来を頭の片隅に残る程度に紹介しています!

農業が盛んな土地だったから~!?

粟田(あわだ)」という地名は全国の市町村ではなくてその下の地区名には結構あって、その名の通り、「」と「」なので、農業やってたんじゃないかなーってのは一般的・・・なんですが!

実は、京都には「粟田(あわた)」という地名があり、奈良時代には清和天皇から派生した清和源氏に「粟田氏」という氏族があったそうです。京都七口の一つ「粟田口」や苗字にもありますし、その由来とも。そもそも加賀を治めていた「富樫氏」も、元をただせば平安時代の征夷大将軍「藤原利仁」の子孫と言われていて、平安時代には野々市にいたので、万が一ってことも、無きにしも非ず(^ω^) あくまで万が一ですけどね。

他、元々、粟田村と新保村があって、「粟田新保村」になった話とか、江戸時代になくなった粟田が現代で復活とか、遺跡の話とか、民話に出てくる「神様」のお話など、「粟田」について、もっともっと調べましたが・・・

只今多忙中につき、続きが気になる方は、
続きをかきやがれ! と、お気軽にご連絡くださいませ~。



今日の一言「江戸時代になくなった粟田が現代で復活!!!」

※自分も専門家でもないし、できるだけ一般的な説で多くの方に浅く頭の片隅程度でとどめるぐらいの内容で書いております。専門家の方は大きな心で読んでいただければ幸いです。
※記事の内容は掲載時点の情報ですので、変更になっている場合もございますので参考にされる場合は掲載日をご確認ください。
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