新しい土地(荘園)が与えられたから~♪
実は「
新庄」という地名は全国に、市町村など沢山あって、その昔の「
荘園制度」の時に、何か功績を上げた人が新しい土地をもらった時に「
新しい荘園」ってことで「
新庄」と名付けた事が多いみたいですね。そして、当時はもともと住んでた土地を「
本庄」というそうです。
野々市市の「新庄」ですが、実はものすごい人が関わっていまして、なんと室町幕府を開いた征夷大将軍「
足利尊氏」。えっ?って感じですが、当時、この辺を治めていた富樫氏の「
富樫高家」は、足利尊氏の側近として、幕府を開くのに大変貢献したので、加賀を治める「
加賀守護」に任命されるわけです。
そして、
高尾や四十万などを富樫荘(本荘)としていたのですが、その息子「
富樫氏春」に地頭として隣に新しい土地を与えたんです。つまり、四十万の隣の現在の「
新庄」の地だったわけで、室町時代初期についた地名だと思います。
ただし、この付近は7世紀の
上林新庄遺跡があって、多くの集落跡が出ているので、未開の地ではなくて、元々は人は住んでたんだそうなー。
他に、
上新庄と下新庄の話、民話や実話に何度も出てくる「
地蔵」のお話など、「新庄」について、もっともっと調べましたが・・・
只今多忙中につき、続きが気になる方は、
続きをかきやがれ! と、お気軽にご連絡くださいませ~。
今日の一言「実際に民話の地蔵が!!!」
※自分も専門家でもないし、できるだけ一般的な説で多くの方に浅く頭の片隅程度でとどめるぐらいの内容で書いております。専門家の方は大きな心で読んでいただければ幸いです。
※記事の内容は掲載時点の情報ですので、変更になっている場合もございますので参考にされる場合は掲載日をご確認ください。
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