「上林・中林・下林」第2回 野々市の町名の由来

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カレーを食べ歩いて今年で24年! 野々市生まれ野々市育ちのいしかわ観光特使で自称「いしかわカレー大使」が、いろいろ勉強して「ののいち博士」を目指している日記ブログです。
以前、ラジオで野々市の町名の由来を1/3ほど一気に紹介したら、自分でも面白くて! 自分が住んでいた町の名前って、人の名前だったんだーとか、あー、それぐらい子供の時に知ってたらよかったな。って思ったので、少しずつですが、町名の由来を頭の片隅に残る程度に紹介しておきますー! 第1回は、大乗寺との由来もある「太平寺」をご紹介しましたが、「上林・中林・下林」の三地区を一気にご紹介したいなって思います。三地区とも野々市の歴史に重要な時期があったんですよー。そして「三林善四郎」とは?
もとは「林郷」で一つだった。

とりあえず町名の紹介の前に。。。元々は、この地区(現在の上林・新庄付近)は、実は三千年前頃から人が住んでいたことが分かっていて(マジか!)、奈良・平安時代頃にはこの地に8つの郷ができて、それをまとめたのが「石川郡」なんだそうで、「石川県」は「石川郡」から名付けたそうです(逆だと思ってた!)。
で、ちょうど上林付近が、その中の一つ「排師郷(はいし)」と言われており、武士の集団がその辺を開墾して治めることになって、「」を名乗ったそうです。(ちなみに、富樫郷(新庄付近)を治めた集団が「富樫」を名乗ったそうで、当時の名前はそんな感じだったそうです。)
のちに加賀地方を治めた富樫氏と林氏は親戚で力をつけて、「排師郷」は「林郷」となり、木曽義仲に従い源平に戦いにも参戦し、鎌倉時代には、「承久の乱」で幕府と天皇方に別れてしまい、天皇方の林氏は負けちゃって、勢力を失い、没落しまうんですー。その後、「林郷」は富樫氏が治めたり、林氏の分家が治めたりで、不安定な時期があり・・・

「上林(かんばやし)」のご紹介
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鎌倉時代後期に下林・中林と分裂して、残ったのが「上林(かんばやし)」となったそうな。上の話に続くんですが、その隆盛を極めた「林氏」の中心地だったのが「林郷八幡神社」であり、広大な敷地があった力を持った神社だったそうで、のちに富樫氏に変わった後も「富樫の守護神」と呼ばれるまでであり、加賀一向一揆衆が治めることとなり、織田信長勢に攻め滅ぼされるまで、神社もかなりの力があったそうですよー。
詳しくは「林郷八幡神社」をご覧くださいませー(^ω^)
富樫の守護神「林郷八幡神社」 第2回 野々市神社めぐり(石川県野々市市上林)

「中林(なかばやし)」のご紹介
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続いて、富奥防災コミュニティーセンターやスポーツランドがある「中林(なかばやし)」。こちらは時代はずーっと先に進んで、時は明治時代。地区の名前とは別に「郷」は残っていて、「林郷」はあったのですが、ここで「林郷」と「富樫郷」「中奥郷」の一部が合併して「富奥村」ができます。現在でいう「富奥地区」ですね! ちなみに富奥地区の上部は「野々市村」でのちに合併するんですが、「富奥村」は当然「村」なので「村役場」とか村の中心が必要となりますよね。富奥地区を想像してもらえば分かりますが、だいたい中心って言えば「中林」。現在、富奥防災コミュニティーセンター付近にJAや消防団とか小学校とか、あの付近だけグッと集まっていると思いませんか? そして道路も不自然なT字にもなっています。その付近が、いわゆる「富奥村」の中心地だったんですよー。その不自然なT字付近に「富奥村役場」があり、その周りには、富奥村は農業が盛んだったので、農業協同組合(現JA)、小学校中学校(現スポーツセンター)もあり、公民館(防災コミュニティーセンター向い側)もあり、消防署(現消防団)などなど。自分の記憶では相撲場もありましたねー。そんな「中林」は明治から昭和にかけて、野々市南部の中心地として栄えていたんですよー。

「下林(しもばやし)」のご紹介
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時代はぎゅっと戻って「下林(しもばやし)」。野々市明倫高校や野々市中央公園の一部もそうで、「下林さくら公園」は桜の名所としてめちゃキレイです。小学生ぐらいだと最初は真面目に習った通り「したばやし」って覚えるんでけどね(^ω^) 「下林」は時代は戻り、室町時代末期から戦国時代にこの付近で力を持ってきます。「定林寺(じょうりんじ)」というお寺があるんですが、そこに「三林善四郎」の館跡もあるんですよー!!!!?

「三林善四郎」って!?
誰やねん!って話ですね。「みつばやし ぜんじろう」って言うんですが、室町時代に、「加賀国」は野々市を中心に「富樫氏」が治めていたのですが、足利家の力がなくなるにつれて、下剋上で織田信長などの戦国大名や、本願寺などのお寺が力を持ち、「加賀国」にも本願寺の「一向一揆衆」が勢力を強めて、守護の「富樫氏」を攻めてきます。で、南から攻めてきたのですが、一人の武将(武将であってるのかな汗)が、上林・中林・下林の地区を征服ちゃいます! なんで、「三つの林を征服したので三林」を名乗ったんだそうです。 「三林善四郎」は、加賀一向一揆衆の中でも有名な領主の一人で、その後、織田信長勢(柴田勝家など)に南側から攻められて戦ったとのこともあり、最後は「上林・中林・下林」から、本拠地の「金沢御坊」まで引いて戦ったけど、討たれたそうで、首は織田信長に届けられたとかとか。 そういう知られてないけど、とても有名な方の館があったのが「下林」となります~。

って、「町名の由来」としては、「林郷が三つに分かれた」という理由なので、一つにまとめちゃいましたが、「上林・中林・下林」とも歴史的に中心地として栄えた時代があったってのが、調べてて面白かったなーって思いました(^ω^)。

かなり薄い内容なので、興味がございましたら、「富奥防災コミュニティーセンター」に富奥の年表がありますので、分かりやすいですし、なんか「林氏が治めていた地だからなんだなー」だけでも覚えていただけると嬉しいなーって思いますー。



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今日の一言「自分は下林の隣に昔住んでました」

※自分も専門家でもないし、できるだけ一般的な説で多くの方に浅く頭の片隅程度でとどめるぐらいの内容で書いております。専門家の方は大きな心で読んでいただければ幸いです。
※記事の内容は掲載時点の情報ですので、変更になっている場合もございますので参考にされる場合は掲載日をご確認ください。
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