そこに太平寺という寺があったから~

「たいへいじ」ではなくて 「
たへいじ」って言います。全国にある「太平寺」は全て「たいへいじ」なので、クイズになりやすいですよねー。
場所は、超近代的な図書館「
学びの杜ののいちカレード」がある場所って言ったら分かりやすいかなー。なんと4丁目まであって、1000戸以上ある(と思う)昔からのメガ町会ですわ~(´ε`)

で、不思議だったのは野々市は4地区(本町・富奥・郷・押野)に分かれているんですが、たぶん、アラフォー以下の人は「太平寺は本町地区だと勘違いしている人多い」んですね。だって、なんか「
小学校の区分け=地区」考えますよねー。そうすると、「太平寺」は野々市小学校なんで、なんとなく「本町地区」って思っているんですが、なんと南側の「富奥地区」なんですよ~ビックリ。

これには理由があって、元々「野々市村」と「富奥村」があって合併して「野々市町」になるんですが、太平寺は「富奥村」だったんですね。地区の区分けは「
元々の村」とかで考えるそうで、なんで「
太平寺は富奥地区」になるんですよー。って野々市市民以外だと「
全然わからん!」ってなると思いますが、市民だとなるほどー!ってなるんです。ちなみに、「
富奥の虫送り」という行事には太平寺が来てるんです~(写真真ん中)。

って思いっきり本筋から反れちゃいましたが、じゃあ「
太平寺」の由来ってなんだと思います? そう大体ご想像の通り!
「そこに太平寺という寺があったから~」 チコちゃん風に読んでください(´ε`) ってか「寺」ってつく地名はだいたい似たような由来だと思いますし、太平寺も例外ではなくその通りでした。じゃあ「太平寺」ってどんなお寺だったんでしょうか?
記録にあんまし残ってはいないのかな、「
大乗寺」4代目の高弟が開いた禅寺だったことなんですが、あの有名な「
徹通和尚」が91歳で亡くなり荼毘(だび)されたのが、この太平寺って言われています(写真)。・・・ん?
「徹通(てっつう)和尚って誰やねん?」 
正式には「
徹通義介(てっつう ぎかい)」禅師といって、現在、前田家の墓地のある野田山にある有名な「
大乗寺」を開いた人です。ものすごい人で、福井県生まれで、比叡山延暦寺で修業し、曹洞宗の開祖「
道元」のお弟子となり、宋でも修業し、「永平寺」の3代目となり、富樫氏にお願いされて、野々市にやってきて、当時は密教寺だったお寺を禅寺として「
大乗寺」を開きました。ってめちゃすげー当時じゃ知らない人はいない有名人ですよ! その方が荼毘(火葬)されたのが「
太平寺」っす。
「大乗寺って野々市のあったの知ってます?」 
あと、余談話ですが、その「
徹通和尚」が開いた「
大乗寺」ですが、今は野田山にあるのを知らない人はいないですが、実は! なんと野々市の押野にあったんですよ! 自分も数年前に知ったんですがマジでビックリでした。野田山の大乗寺にはよく行ってたので、その年一番びっくりした出来事かも! 富樫氏が呼んだんだし、富樫氏の館付近にあって当たり前ですよね。
室町時代までは富樫氏の菩提寺であり、なんと足利将軍家の祈願寺でもあったそうな。でも、一向一揆で富樫氏が滅んで、大乗寺もあるかないか分からんような状態でいたんですが、前田家が金沢を中心に加賀地方を治めるようになり、「大乗寺」も金沢へ移されたとか。
そんな歴史ある「大乗寺」の4代目の高弟が開いたのが「
太平寺」です。
「
太平寺」の昔の話を調べると怖い話が多くて、狼に何人も食い殺されたとか、僧が殺されたとか、逸話も「追い剥ぎ」とか、そんなんが多くて紹介しづらいので割愛しますが、ナマステの「
太平寺」のイメージは、やっぱり人が多いし、当然子供も多かったので、「
太平寺軍団」じゃないですけど、やっぱり何をしても強かったーってイメージですね。うらやましかった!
まーなにはともあれ、これだけは頭の片隅に入れておいていただければ幸いです。
「そこに太平寺という寺があったから~」


今日の一言「すげー、でけー!」
※自分も専門家でもないし、できるだけ一般的な説で多くの方に浅く頭の片隅程度でとどめるぐらいの内容で書いております。専門家の方は大きな心で読んでいただければ幸いです。
※記事の内容は掲載時点の情報ですので、変更になっている場合もございますので参考にされる場合は掲載日をご確認ください。
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